| 中山道 |
中山道(日本橋〜下諏訪)
|
|
|
|
日本橋 【にほんばし】 東京都中央区 日本橋から |
「五街道の起点となった橋」 1603年に徳川家康が江戸東側の海岸地帯を埋め立てて町割りを行った際架けた橋で、江戸の真ん中にある橋という意味で日本橋と呼ばれるようになった。
|
|
|
板橋宿 【いたばし】 東京都板橋区 日本橋から |
「日本橋を出発して第一番目の宿」 東海道の品川、甲州街道の内藤新宿、奥州街道の千住とともに江戸四宿の一つに数えられた。石神井川に架けられた板の橋が地名のの由来。
|
|
|
蕨宿 【わらび】 埼玉県蕨市 日本橋から |
「戸田の渡しの手前で綿織物の宿」 昔この辺りの荒川は戸田川と呼ばれていた。地名の由来は、1)ワラビが沢山生えていたという説、2)藁火のことで、樹木が少なかったので藁を焚いて用いたという説がある。
|
|
|
浦和宿 【うらわ】 埼玉県さいたま市 日本橋から |
「主に木綿を商う“二七の市”で盛況」 地名の由来は浦回、浦廻、浦曲などあり、入間川の流れが屈曲していた土地、又は中州のことという説が有力。
|
|
|
大宮宿 【おおみや】 埼玉県さいたま市 日本橋から |
「氷川神社の門前町として栄える」 武蔵国一宮(氷川神社)の存在が地名の由来、大きな神社(大宮)があるとの意味。江戸時代は宿場町、市場町として街道沿いに発展。
|
|
|
上尾宿 【あげお】 埼玉県上尾市 日本橋から |
「上尾駅は県内で最古の駅である」 地名は戦国時代からある郷村名で、高台の田(上田)端の意であろうとされる。宿の鎮守で氷川鍬大神宮があり、御神体が小さな鍬2丁という珍しい神社がある。
|
|
|
桶川宿 【おけがわ】 埼玉県桶川市 日本橋から |
「紅花を扱う商人で賑わった宿」 東に芝川、南に鴨川の水源となっていて湿地の多い土地である。地名の起こりは川の興る町、興川が桶川となった説もある。
|
|
|
鴻巣宿 【こうのす】 埼玉県鴻巣市 日本橋から |
「雛人形で有名な宿」 鴻巣の雛市は、江戸の十間店、越谷と並んで関東の三大雛市といわれた。地名の由来は当地にある氷川神社の別名「鴻ノ宮」ともいい、大木に鴻(コウノトリ)が巣を作っていたことからとも云われる。
|
|
|
熊谷宿 【くまがや】 埼玉県熊谷市 日本橋から |
「水質の良い星川で“熊谷染”生まれる」 熊谷染は江戸小紋の流れをくむもので柄が非常に細かいのが特徴。江戸時代には藍玉と紅花の栽培が農家で営まれ染色の分野が発展する。地名の由来は、この地の出身である熊谷次郎直実の父直貞が付近を荒らし回る熊を退治したことによるという。
|
|
|
深谷宿 【ふかや】 埼玉県深谷市 日本橋から |
「チューリップ生産量日本一の町」 利根川と荒川の二大川に挟まれた地形で、特に利根川流域の沖積土地帯は耕土が深く肥沃でネギ作りにも最適な土壌であった。また明治の大物経済人、渋沢栄一の生誕の地でもある。
|
|
|
本庄宿 【ほんじょう】 埼玉県本庄市 日本橋から |
「中山道最大の宿場」 神流川を挟み武州と上州の国境で、幕府は江戸防衛の為に橋は架けさせなかった。記録によると旅籠の数70軒ともいわれ街道最大の宿場であった。
|
|
|
新町宿 【しんまち】 群馬県多野郡 日本橋から |
「神流川古戦場に歴史をみる」 1582年、本能寺の変後、織田信長家臣の武将滝川一益と、小田原北条氏が激戦を交わした地。地名は街道整備にともない、新しくつくられた宿で新宿となる。
|
|
|
倉賀野宿 【くらがの】 群馬県高崎市 日本橋から |
「河川運送の要所として栄える。」 利根川の水運の終点にも当たることから、信州、越後の米は碓氷峠を牛馬で越え、ここから烏川を船で下り、利根川を経て江戸へ運ばれた。
|
|
|
高崎宿 【たかさき】 群馬県高崎市 日本橋から |
「城下町として栄え、江戸から四日目の宿泊地」 1598年、井伊直政が築城し高崎と改める。直政は築城にあたり鷹を飛ばして城地を定めたことが地名の由来。また佐渡から江戸へ、越後、長岡を経て金を運ぶ「前橋道」との合流点でもあり宿場は盛況をきわめた。
|
|
|
板鼻宿 【いたはな】 群馬県安中市 日本橋から |
「碓氷川沿いに発達した交通の要衝の地」 中世には碓氷川、九十九川、秋間川の合流地点で筏交通の集散地であった。戦国時代には入ると伝馬役を負担する伝馬宿となり、幕末には天領として幕府直轄地となる。
|
|
|
安中宿 【あんなか】 群馬県安中市 日本橋から |
「中世からの歴史を感じる城下町」 1559年この地に城を構えた安中越前守忠政が野尻を改め安中とした。その後、武田信玄により落城させられ城は荒廃する。1615年井伊直政の子直勝が宿を整備し、安中の城下町として栄えた。
|
|
|
松井田宿 【まついだ】 群馬県碓氷郡松井田町 日本橋から |
「別名“米宿”と呼ばれ江戸廻米の中継地点」 次の宿、坂本宿へ向かうと人気駅弁“峠の釜めし”で有名な横川に碓氷の関所があったため、陽の当たるうちに面倒な関所を越えておきたい旅人は当宿を通過してしまうことが多かった。
|
|
|
坂本宿 【さかもと】 群馬県碓氷郡 日本橋から |
「難所、碓氷峠越えの拠点」 江戸時代には、東海道の箱根の関所と同規模の関所が松井田―坂本間の碓氷に置かれた。碓氷峠に「関」が置かれたのは889年にまで遡り古い歴史をもっている。
|
|
|
軽井沢宿 【かるいざわ】 長野県北佐久郡 日本橋から |
「宿場から日本一の別荘地へ」 江戸時代に碓氷峠は噴煙たなびく浅間山を一望できる景観の良い峠であった。峠を越え信濃入りする最初の宿場。明治時代イギリス人宣教師ショー氏の訪問以後、現在まで高原リゾート地として内外に知られるようになる。
|
|
|
沓掛宿 【くつかけ】 長野県北佐久郡軽井沢町 日本橋から |
「皇女和宮も宿泊した町」 浅間山麓一帯を原産地とする「信州そば」で名を広めた。また草津道の入口にあたり、草津温泉往来の旅人で賑わった。現在は改称して中軽井沢となる。
|
|
|
追分宿 【おいわけ】 長野県北佐久郡軽井沢町 日本橋から |
「北国街道と中山道との分岐点」 「追分」とは牛馬を左右に追い分ける意味で、この地以外にも多くのこる。北国街道(善光寺から越後路へ)との分岐点であり、中山道の宿場中最も高地にある。
|
|
|
小田井宿 【おたい】 長野県北佐久郡御代田町 日本橋から |
「姫君に愛された静かな宿場」 追分宿が一種歓楽街的な宿場であったのに比べ、旅籠5軒の静かな宿であったので、公家の姫君が好んだことから「姫の宿」と呼ばれた。
|
|
|
岩村田宿 【いわむらた】 長野県佐久市 日本橋から |
「千曲川を望む武田信玄ゆかりの地」 戦国時代の武将、武田信玄の軍用路であった佐久甲州街道と合流する地である。旧道沿いの龍雲寺は、信玄の遺骨がひそかに葬られていたという古刹である。
|
|
|
塩名田宿 【しおなだ】 長野県北佐久郡浅科村 日本橋から |
「千曲川往還の任務が重要な宿」 佐久平の中央に位置し、北に浅間山、南に蓼科山の雄姿を望み、難所の千曲川を控えた地で、近隣の村々を集めて新宿として作られた。
|
|
|
八幡宿 【やはた】 長野県 日本橋から |
「荒れ野から新田開墾地へ」 1602年塩名田宿と望月宿との間が悪路であった為、近隣の村を合併し作られた新宿。
|
|
|
望月宿 【もちづき】 長野県北佐久郡 日本橋から |
「望月駒の里」 近隣に散在していた民家を鹿曲川沿いに移住させ作りだした宿場。当宿の北側の台地は「御牧ヶ原」と呼ばれ、古代から中世にかけては朝廷の牧場で、馬が育てられていた。
|
|
|
芦田宿 【あしだ】 長野県北佐久郡 日本橋から |
「信濃富士と称された蓼科山の山麓」 1597年に開かれた宿。長久保方面へ向って笠取峠にさしかかると美しいアカマツの並木道がある。これは中山道の開通の時に際して小諸藩が数百本の松の苗を下付したことによるものである。
|
|
|
長久保宿 【ながくぼ】 長野県小県郡 日本橋から |
「南に八ヶ岳連峰を望む高原宿場」 中山道と丸子上田方面へ向う分岐点にあたり、竪町と横町からなるL字型の作りが珍しい宿で、中山道で最古の本陣がある。
|
|
|
和田宿 【わだ】 長野県小県郡 日本橋から |
「つらい和田峠をひかえた宿場」 旅人の前には和田峠(1531m)が立ちはだかり、中山道でも最大の難所と云われた。。古くは諏訪大社信仰の道として街道筋は賑わっていた。
|
|
|
下諏訪宿 【しもすわ】 長野県諏訪郡 日本橋から |
「湖を眺め温泉に憩う」 諏訪湖のほとりにあり、古くから諏訪大社の門前町として栄えた。中山道では唯一温泉の湧く宿場としても知られ、甲州道中の終点ということもあり大いに賑わった。
|
|
Copyright (C) 1998-2004, NEC Corporation. |